昔はカラカウア通りからダイヤモンドヘッドが見えていたそうです。ビショップ博物館で40年働いている歴史家のDeSoto Brownさんが、地元のニュースサイト「アロハ・ステート・デイリー(Aloha State Daily)」のコラムで、1950〜60年代のワイキキの写真と、同じ場所から撮った今の写真を並べていました。Brownさんによると、ワイキキが大きく変わり始めたのは1955年。10階建ての建物が4棟できた年だそうです。私たちはワイキキに来ると、買い出しでカラカウア通りやクヒオ通りを何度も歩きます。毎回「前と何が変わったか」を探すのが楽しみなのですが、70年前までさかのぼると変わり方がまるで違って、読みながら何度も写真を見返してしまいました。年表にまとめつつ、いつも歩く通りの見え方がどう変わったかを書いていきます。
ニュースのあらまし
Aloha State Daily | What happened to Waikīkī?
Back in the Statehood era, you could see Punchbowl from Kalākaua Avenue and Diamond Head from Kūhiō Avenue. ASD history columnist DeSoto Brown pairs…
コラムのタイトルは「What happened to Waikīkī?(ワイキキに何が起きたのか)」。Brownさんは、ビショップ博物館のアーカイブ(古い資料の保管庫)の担当で、ハワイの古いチラシや印刷物を1970年代から集めてきた人だそうです。自分のコレクションの古い写真と、同じ場所で撮り直した今の写真を組にして並べ、ワイキキが低い建物の町から今のにぎやかな街に変わった流れを追っています。
変わった理由について、Brownさんは「観光の成長」としています。サトウキビとパイナップルの大規模な農業が縮んだり無くなったりした穴を、ちょうど観光が埋めた、という説明です。
変わり始めは1955年、10階建てが4棟
Brownさんが、ここははっきりしているとしているのが1955年です。この年に、次の4棟の10階建てが完成しました。
- ワイキキ・ビルトモア・ホテル
- プリンセス・カイウラニ・ホテル
- リーフ・ホテル
- ロザレイ(アパート)
今の感覚だと10階建ては大したことのない高さですが、これで新しい建物を建てる中心がダウンタウンから離れ、ホノルルが上へ伸びていくきっかけになった、という内容です。
コラムには、ビーチウォークの通りの奥にリーフ・ホテルが高く見えている昔の写真も載っていました。今の同じ場所は、背の高いビルにはさまれた谷のような通りになっているそうです。リーフ・ホテルは今もこの通り(ビーチウォーク)の突き当たり、カリア通り沿いに建っている、とのことでした。ビーチウォークはワイキキを歩いていればよく通る通りなので、あの通りの奥に10階建てが「高く」見えた時代があったのかぁ、と少し不思議な気持ちになります。
ジェット機が来て、1967年に「その年の100万人目」
建物が増えた理由として、Brownさんは移動手段の変化も挙げています。第二次世界大戦のあと、観光客の足が客船から飛行機に置き換わっていき、決定打になったのがジェット機でした。
- 1959年に最初のジェット機がハワイに到着
- 西海岸からの所要時間が何時間も縮み、1便あたりに乗れる人が増え、運賃も下がった
- 1967年の終わりに、その年の観光客が100万人に達した(経済の専門家の予想より早かったそうです)
我が家はANAでハワイに通っているので、飛行機のおかげでワイキキが今の形になった、と言われると妙に納得してしまいます。運賃が下がって人が増え、増えた人を泊める建物が必要になって上へ伸びた、という順番は分かりやすいですね。
カラカウア通りから消えたダイヤモンドヘッドとパンチボウル
いちばん目を引いたのが、通りからの眺めの話です。
- 1953年のカラカウア通りの写真では、ダイヤモンドヘッドの前をさえぎるものが何もありません
- 1962年に完成した20階を超える「フォスター・タワー・ホテル」が、ワイキキのメインの通りからダイヤモンドヘッドの眺めを、それきり隠してしまったそうです
- 1964年のクヒオ通りの写真にも、ダイヤモンドヘッドの方向の眺めが写っています。今の同じ場所からは山は見えず、通り沿いの駐車もできなくなっているとのこと
- 1962年のカラカウア通りとルワーズ通りの交差点の写真には、遠くにパンチボウル(国立太平洋記念墓地のある火口)まで写っていて、火口の中の白い記念碑まで見えたそうです
ダイヤモンドヘッドといえば、ビーチから眺めるものだと思っていました。買い出しで歩くクヒオ通りの先に山が見えていた時代があったと知ると、同じ道を歩くときに、つい「このへんから見えていたのかな」と顔を上げてしまいそうです。
一方通行になった1971年と、どの方向にも渡れる交差点
通りの使われ方も変わっています。
カラカウア通りは1971年から一方通行
1960年の写真のカラカウア通りは、まだ両方向に車が走っていて、路肩に駐車もできたので、かなり混み合っていたそうです。1971年に一方通行に切り替えたところ、すぐに混雑が減った、とBrownさんは書いています。アラワイ通りも同じときに、ワイキキ全体の計画の一部として変わったとのことでした。
車がいっせいに止まる交差点
カラカウア通りとルワーズ通りの交差点は、今は路面に目立つ縞模様が描かれています。信号の周期の中で、車がいっせいに止まり、歩く人がどの方向にも渡れる時間があるそうです(日本でいうスクランブル交差点に近い形ですね)。歩く人がとても多いので、ここ数年のうちに今の形に変わった、とのことでした。
レンタカーを借りない我が家は、ワイキキの中はほとんど歩きです。一方通行になったいきさつは考えたこともありませんでしたが、渡るときの気楽さは、こういう積み重ねの上にあるんだなぁ、と思いながら読みました。
ロイヤル・ハワイアン・アベニューの交差点は1980年に
1971年にシェラトン・ワイキキが開業すると、ロイヤル・ハワイアン・ホテルの狭い入口を使う車が一気に増えて、何年も詰まったままだったそうです。今のように、ロイヤル・ハワイアン・アベニューがカラカウア通りをまっすぐ横切る形になったのは1980年、とのことでした。
年表にすると
コラムに出てくる年を並べると、こうなります(出来事と年はすべて元記事による)。
| 年 | 出来事 |
|---|---|
| 1920年代 | 昔の写真に写るヤシの木が、通り沿いに植えられる(アウトドア・サークルという団体による) |
| 1955年 | 10階建ての建物が4棟完成。ワイキキが変わり始めた年 |
| 1957年 | インターナショナル・マーケットプレイスができる |
| 1959年 | 最初のジェット機がハワイに到着 |
| 1962年 | 20階を超えるフォスター・タワー・ホテルが完成し、カラカウア通りからダイヤモンドヘッドが見えなくなる |
| 1965年 | ワイキキ・ビジネス・プラザ |
| 1967年 | 年の終わりに、その年の観光客が100万人に |
| 1969年 | リバティ・ハウスの建物が取り壊され、のちにワイキキ・ビーチコマー・ホテルに |
| 1971年 | カラカウア通りが一方通行に。シェラトン・ワイキキ開業 |
| 1976年 | ハイアット・リージェンシーの2棟が開業。ワイキキ・ショッピング・プラザ |
| 1970年代の終わり | 三越が建てたビルができる |
| 1980年 | ロイヤル・ハワイアン・センター開業。ロイヤル・ハワイアン・アベニューの交差点が今の形に |
| 1990年代 | 大きな再開発で、ヘルモア通りという短い通りがなくなる |
| 2001年 | 百貨店のリバティ・ハウスがメイシーズになる |
Brownさんは、1970年代の終わりにはワイキキの大部分が今とほぼ同じ見た目になっていた、としています。そのあとも高い建物は増えたものの、私たちが今見ている景色の土台は、そのころにはそろっていたということですね。
今も残っているもの、新しく増えたもの
変わったところばかりではありません。
- インターナショナル・マーケットプレイスの大きなバニヤンの木: 1957年にできた最初のマーケットプレイスは、ポリネシアとアジアを混ぜたような異国風の建物が並び、無料のハワイアンやタヒチアンのダンスショーもあったそうです。全面的に取り壊して建て直したあとで残ったのは、カラカウア通り側の入口を入ってすぐの大きなバニヤンの木だけ、とのことでした
- 低い建物の並び: カラカウア通りとビーチウォークの交差点や、ルワーズ通りの交差点では、通りの向かいの小さな建物の並びが、昔の写真と同じまま今も残っているそうです
- 三越が建てたビル: 1970年代の終わりに日本の百貨店の三越が建てた、日本でよく見る何階にもわたる商業ビルでしたが、ワイキキではうまくいかなかったそうです。通り沿いの窓を薄い水が流れ落ちる仕掛けで知られていましたが、改装のときに取り外され、色とりどりのガラスの外装になった、とのことでした
逆に増えたのが緑です。今の写真のほうが、シャワーツリーの並木や芝生、植え込みがずっと多いそうです。木はゆっくり大きくなるので、古い写真と並べて初めて違いに気づく、という話には大きくうなずきました。カラカウア通りの歩道は、手で並べた石畳になっていて、ハワイ語の言葉が刻まれた石も多いとのこと。毎日、掃除の人が歩道を掃いてきれいにしていることにも触れていました。
歩道が私有地になっている場所がある
ひとつ、知らなかった話がありました。ロイヤル・ハワイアン・センターの前は、1956年の写真ではロイヤル・ハワイアン・ホテルの庭が歩道まで広がっていた場所です。1980年に開業した今のセンターの前では、歩道が通りから奥へ下がった作りになっています。植え込みがきれいに並ぶ作りになった一方で、その歩道は私有地の上にあるので、土地の持ち主が誰を通すかを決められるそうです。Brownさんによると、ワイキキにはほかにも少なくとも2か所、同じ作りの場所があるとのことでした。
ふだん歩いていて、公道の歩道と私有地の歩道の境目を意識したことは一度もありませんでした。見た目ではまず分からないので、こういうのは知っておくと面白いですね。
写真を見たあとで歩きたくなったところ
本文の最後の段落でBrownさんは、ワイキキは何十年も前から混み合った都会で、そのことで批判もされてきたけれど、そのにぎやかさを楽しむ観光客はとても多い、と書いています。好きでも嫌いでも、ハワイの経済はワイキキのおかげで成り立っているので、これからもできるだけうまく回るようにしていかないと、といった内容で終わっていました。
私たちは、知らない料理に出会うと由来を調べてから食べるのが好きなのですが、町も同じで、昔の姿を知ってから歩くと見え方が変わります。次にワイキキを歩くときに見てみたいのは、このあたりです。
- カラカウア通りで、ダイヤモンドヘッドの方向をちょっと見上げてみる(今は建物で見えないはずですが)
- インターナショナル・マーケットプレイスの入口のバニヤンの木
- カラカウア通りの石畳に刻まれたハワイ語の言葉
- 縞模様の交差点で、車がいっせいに止まる時間
どれも、わざわざ遠くへ出かけなくても買い出しの途中で見られるものばかりです。
まとめ
- ビショップ博物館の歴史家DeSoto Brownさんが、ワイキキの1950〜60年代の写真と今の写真を並べたコラムを、アロハ・ステート・デイリーで出しました
- Brownさんによると、ワイキキが変わり始めたのは10階建てが4棟できた1955年。1959年のジェット機の到着で観光客が一気に増えました
- 1962年に完成した20階を超えるホテルで、カラカウア通りからダイヤモンドヘッドが見えなくなったそうです
- カラカウア通りの一方通行は1971年から。どの方向にも渡れる交差点は、ここ数年で今の形になったとのこと
- 1957年の最初のインターナショナル・マーケットプレイスから残っているバニヤンの木のように、昔から残っているものもあります
いつもの通りでも、昔の写真を一枚見ておくだけで、歩く楽しみがひとつ増えます。写真はコラムの中にたくさん載っているので、ワイキキが好きな方は元記事のほうもぜひ見比べてみてください。











